
■競争優位性を拒む国・日本
「競争優位性」という言葉に難しさを感じる方は多いですが、その本質は極めて単純です。
「他の誰でもなく、私(または自社)を選んでもらえる状態であること」 に尽きます。
ところが日本では、この当たり前の原則がほとんど理解されていません。むしろ逆に、「他と違うこと」は避けるべきリスクと捉えられ、忌避されてしまっています。
多くの日本人は幼少期から「みんなと同じ」でいるよう求められてきました。学校では同じ答えを出すことが評価され、社会に出れば前例踏襲が称賛されます。その結果、差別化を自ら封印する文化が育ち、特異性は抑圧され、没個性な人材と組織が量産されています。
その延長線上にあるのが、現在の日本の国際競争力の低迷です。IMDの世界競争力ランキングで日本が長期低落傾向にあるのは偶然ではなく、この“同質性を正義とする文化”の当然の帰結です。
競争優位を放棄する国が、世界で競争力を持つはずがありません。
■「実現可能性」という言い訳が競争を殺す
私は以前、とあるイノベーションコンテストで強烈な違和感を覚えました。参加者のプレゼンテーションは堂々としていましたが、出てくるアイデアはどれも「どこにでもある案」ばかりだったのです。
「実現可能性は高いです!」
と誇らしげに語るのですが、それは単に 無難な案だから実現可能性が高い に過ぎません。
“実現可能性を重視する”という名の思考停止。
これこそ、日本に根付いた思考の病だと感じています。
競争優位とは本来、「他と違うこと」を戦略的に打ち出すことで生まれます。しかし日本人は「違うこと」を危険視し、「同じこと」を安全とみなしてしまいます。この価値観こそが企業の事業を凡庸化し、個人のキャリアを平均化し、国家の競争力を蝕んでいるのです。
■同質性を安心とし、異質性を恐れるという呪い
日本には独特の“同調圧力”があります。
多数派に属することが安心であり、少数派は排斥されやすい空気があります。
学校では「空気を読む」ことが重視され、会社では「波風を立てない」ことが求められます。
しかし経営の現場では冷徹な事実があります。
競争社会において、同質性は何の価値も生みません。差別化だけが価値を生み、異質性こそ競争優位の源泉です。
異質性を恐れる文化の中で育った人々に、社会に出た瞬間「ユニークな価値を生み出せ」と求めるのは無理があります。この矛盾に向き合わず、「人材が育たない」と嘆く企業の多いことには驚かされます。
■企業がイノベーションを生み出せない理由
日本企業がイノベーションを生み出せない最大の理由は、技術力の有無ではありません。
競争優位の源泉となる“特異性”を許容しない文化そのものにあります。
・奇抜なアイデアを否定
・違う行動をする人を排除
・前例を踏襲することが正義
・「普通」を目指す教育
・評価軸は“平均点”に集約
これでは世界と戦えるわけがありません。
IMDランキング上位の国々(スイス、北欧、シンガポールなど)は、いずれも 多様性を価値源泉として扱う文化が根付いています。
日本がその真逆を行っているのですから、結果は自明です。
■どうすれば競争優位を取り戻せるのか
答えは極めてシンプルです。
「他と同じであること」をやめること。
「自分(自社)ならでは」を明確化し磨き上げること。
特に経営者・リーダー層には次の3点を求めたいと考えています。
①ユニークさを評価する文化を組織に取り入れる
前例主義を廃し、異質な提案にこそ価値があるというメッセージを組織内に浸透させます。
②「実現可能性」の呪縛を捨てる
実現可能性は後からつくればよいのです。
まずは「特異性」「尖った価値」を基準に評価すべきです。
③個人の差異を怖れない
“普通であること”に価値を置く時代は終わりました。
個人の強み・癖・偏りこそが競争優位の源泉になります。
■まとめ:競争優位は文化的反逆からしか生まれない
IMDランキングの低迷は、経営手法の問題でも人口減少の問題でもありません。
その根源にあるのは、「みんなと同じが正義」という文化的価値観です。
競争優位性は、みんなと同じことをして得られるものではありません。
むしろ、みんなと違うことをやる勇気を持った者だけが手にできる成果です。
差異を恐れる文化の中で競争優位を築くには、文化への反逆が必要です。
それを実行できた個人や企業だけが、これからの時代を生き残るのだと確信しています。
合同会社タッチコア 小西一有