
業務モデリングの重要性は、DXや業務改革、エンタプライズ・アーキテクチャ(EA)といった文脈で繰り返し語られてきました。しかし現実には、日本企業で業務モデリングが日常的な思考道具として根付いている例は極めて少ないのが実情です。
その理由を「スキル不足」「人材不足」「ツールが難しい」といった表層的な問題に求めても、本質には辿り着けません。問題はもっと深く、日本の業務観や組織文化そのものに埋め込まれています。
日本企業の業務は、長らく「暗黙知」によって運用されてきました。
経験を積んだ担当者が空気を読み、例外を調整し、その場その場で最適と思われる判断を下します。阿吽の呼吸や現場対応力は、日本企業の強みとして語られてきましたし、実際に機能していた時代もありました。
しかし、ここで重要な注意点があります。
暗黙知で業務が回ってきたことは事実ですが、それを無条件に肯定してよいわけではありません。
知識創造理論、いわゆるSECIモデルを提唱した野中郁次郎先生は、日本企業が暗黙知に依存し続けることに、早くから警鐘を鳴らしていました。
SECI理論の本質は、暗黙知を称揚することではありません。暗黙知を形式知へと変換し、組織として共有・再利用できる状態へ引き上げなければ、競争力は持続しないという問題提起にあります。
つまり、暗黙知でうまく回っているように見える状態は、決して到達点ではありません。
それはむしろ、次の成長や変革へ進むための「未完の状態」だと言えます。
ところが日本の企業現場では、暗黙知が「強み」や「文化」として語られる一方で、それを意図的に形式知化し、構造として固定する取り組みは十分に進んできませんでした。
その結果、業務は個人や現場に埋め込まれたまま属人化し、「説明はできるが、設計や再構成の対象にはなりにくい」状態が常態化しました。
業務モデリングが受け入れられにくい背景には、この日本的な業務観があります。
業務をモデルで表現することは、流動的で曖昧なものに境界線を引き、「ここからここまでがこの業務です」と定義する行為です。
しかしそれは、日本の現場感覚からすると、「現場を分かっていない」「机上の空論だ」「融通が利かなくなる」と映りやすい行為でもあります。
さらに、日本の組織では「業務は改善するもの」「工夫するもの」という意識は強い一方で、「業務は設計するもの」という発想が育ちにくい傾向がありました。
改善は現場に委ねられ、設計は曖昧なまま放置されます。この構造の中で、業務モデリングは「余計な作業」「なくても回っているもの」と見なされがちになります。
教育の現場においても、業務を構造として捉え、モデルで考える訓練は十分に行われてきませんでした。
手順を覚えることや成功事例を学ぶことはあっても、「なぜその業務構造なのか」「別の構造はあり得ないのか」を問う機会は限られていました。その延長線上に、現在の企業現場があります。
業務モデリングとは、暗黙知を否定する行為ではありません。
むしろ、暗黙知を組織の資産として扱える形に引き上げるための手段です。
それにもかかわらず、日本では暗黙知を「守るべき文化」として温存し続けた結果、業務を設計し直す視点が育ちませんでした。
野中理論が示していた問題意識と、業務モデリングが直面している壁は、実は同じ地平にあります。
この発想転換を避け続ける限り、日本で業務モデリングが本格的に活用される日は来ないでしょう。
次回は、業務モデリングがなぜ「説明資料」で終わってしまうのか、その構造的な理由を掘り下げていきます。
合同会社タッチコア 小西一有