
毎年春になると、多くの企業で新入社員研修が行われます。
ビジネスマナー、報告・連絡・相談、コンプライアンス、会社のルール、上司との接し方、メールの書き方、名刺交換の作法。
新入社員が社会人として働き始めるにあたり、こうした基礎を教えること自体に異論はありません。
むしろ、何も教えないまま現場に配属する会社の方が、組織としては危ういとさえ言えます。
しかし一方で、私は新入社員研修に対して、時折、強い違和感を覚えることがあります。
それは、新入社員研修が本当に若者を育てているのか、という違和感です。
もう少し踏み込んで申し上げるなら、若者が本来持っている可能性を伸ばすどころか、組織にとって扱いやすい人材へと加工しているだけではないか、という疑問です。
新入社員は、まだその会社の常識に深く染まっていません。
だからこそ、素朴な疑問を持つことができます。
「なぜ、この会議は毎週行われているのでしょうか」
「この資料は、誰が何のために使うのでしょうか」
「なぜ、お客様への説明よりも、社内説明の方が大変なのでしょうか」
「この仕事は、本当に価値を生んでいるのでしょうか」
「なぜ、同じ内容を何度も別のフォーマットに入力しているのでしょうか」
長く会社にいる人からすれば、少し青臭く聞こえるかもしれません。
「まだ現場を分かっていない」と感じることもあるでしょう。
しかし私は、むしろそこにこそ価値があると考えています。
会社の中に長くいると、見えなくなるものがあります。
毎週の会議、複雑な承認ルート、誰が読むのか分からない資料、目的が曖昧な報告、過剰な根回し。
最初は奇妙に見えていたはずのものが、いつの間にか「そういうもの」として受け入れられてしまいます。
新入社員の違和感は、その「そういうもの」を揺さぶる可能性を持っています。
ところが、多くの会社では、その違和感を大切に扱いません。
むしろ、早い段階で矯正しようとします。
「まずは会社のやり方を覚えてください」
「勝手に判断しないようにしてください」
「疑問があれば、まず上司に確認してください」
「報告・連絡・相談を徹底してください」
「組織人としての振る舞いを身につけてください」
もちろん、これらの指導は間違っていません。
新入社員が勝手に判断して暴走してしまっては困ります。
報告も相談もせずに物事を進めてしまえば、組織としての仕事は成り立ちません。
コンプライアンスを軽視する社員を育ててよいはずもありません。
問題は、これらを教えること自体ではありません。
これらだけを教えてしまうことです。
新入社員研修の多くは、若者に「強く振る方法」を教えるよりも、「空振りしない方法」を教えているように見えます。
失礼のない話し方。
無難な報告の仕方。
上司が安心する相談の仕方。
会議で浮かない発言の仕方。
社内で波風を立てない振る舞い方。
それらを身につけた新入社員は、たしかに社会人らしくなります。
しかし同時に、強く振ることをためらうようになります。
野球に例えるなら、空振りを恐れずにフルスイングする打者ではなく、何とかバットに当てにいく打者になっていくのです。
空振りはしない。
フォームもきれい。
監督からも怒られにくい。
チームの和も乱さない。
しかし、打球は弱い。
内野ゴロが増える。
試合を変える一打にはならない。
これが、私の言う「凡打製造装置」です。
企業はよく「若手には挑戦してほしい」と言います。
「自律型人材が必要だ」とも言います。
「イノベーションを起こしてほしい」とも言います。
しかし、その入口である新入社員研修において、挑戦する人材を育てるどころか、失敗しない人材を育ててはいないでしょうか。
この矛盾は、かなり深刻です。
たとえば、新入社員が「この業務は本当に必要なのでしょうか」と問うたとします。
この問いは、場合によっては非常に重要です。業務改革の入口になるかもしれません。
顧客価値を問い直すきっかけになるかもしれません。
調整コストの発生源を見つける一言になるかもしれません。
ところが、現実には次のように返されることが少なくありません。
「まずは一通りやってから言ってください」
「それは昔から決まっていることです」
「現場には現場の事情があります」
「今はそういうことを考える段階ではありません」
こうして、新入社員は学習していきます。
問いを立てるより、まず従った方がよい。
違和感を言葉にするより、空気を読んだ方がよい。
強く振るより、当てに行った方が安全である。
もちろん、最初から何でも批判すればよいわけではありません。
未熟な問いもあります。
的外れな意見もあります。
現場を知らないからこそ出る浅い発言もあります。
しかし、それでもなお、若者の違和感を潰してはいけないのです。
なぜなら、その未熟な違和感の中に、会社を変える種が混じっている可能性があるからです。
人材育成とは、若者を組織の型に押し込むことではありません。
若者が持っている問いを、仕事に耐えうる問いへと鍛えていくことです。
「それは生意気だ」と退けるのではなく、
「なぜそう思ったのか」と掘り下げる。
「まず黙ってやりなさい」と封じるのではなく、
「現場の構造を見た上で、もう一度考えてみましょう」と導く。
「会社のやり方を覚えなさい」で終わらせるのではなく、
「なぜこのやり方になっているのかを考えてみましょう」と教える。
これが、本来の社員教育ではないでしょうか。
新入社員研修で本当に教えるべきことは、名刺交換の角度だけではありません。
上司へのメール文面だけでもありません。
報告・連絡・相談の型だけでもありません。
教えるべきは、仕事の構造です。
価値はどこで生まれているのか。
誰が何を決めているのか。
なぜ、この業務はこの順番で流れているのか。
顧客は何に対してお金を払っているのか。
どこに調整コストが発生しているのか。
どの会議が意思決定の場で、どの会議が単なる儀式になっているのか。
こうした構造を見抜く力を教えずに、作法だけを教えると、若者はどうなるでしょうか。
失礼のない社員になります。
報告のうまい社員になります。
上司に安心される社員になります。
会議で浮かない社員になります。
しかし、事業を変える社員にはなりにくいのです。
企業は、若者に何を期待しているのでしょうか。
ミスをしないこと。
上司に迷惑をかけないこと。
組織の空気を乱さないこと。
無難に仕事を進めること。
それだけを求めるのであれば、新入社員研修は今のままでよいのかもしれません。
しかし、将来の中核人材を育てたいのであれば、話は違います。
事業を変える人材を育てたいのであれば、なおさらです。
ホームランバッターは、最初からきれいな打者ではありません。
空振りもします。
三振もします。
フォームも少し個性的かもしれません。
監督から見れば、危なっかしい存在です。
しかし、試合を変える一打を打つのは、そういう打者です。
会社も同じです。
本当に会社を変える人材は、最初から扱いやすい社員ではありません。
時に面倒な問いを立てます。
前提を疑います。
会議の空気を止めます。
上司が見落としている論点を突きます。
それを「未熟」として潰すのか。
それとも「可能性」として鍛えるのか。
新入社員研修の本当の分岐点は、そこにあります。
私は、ビジネスマナーを否定しているのではありません。
報告・連絡・相談を否定しているのでもありません。
コンプライアンス教育を軽視しているのでもありません。
ただ、それらだけで人を育てたつもりになってはいけない、と申し上げたいのです。
社会人に育てることと、強く振れない社員にしてしまうことは違います。
企業が本当に育てるべきなのは、ミスをしない打者ではありません。
試合を変える一打を打てる人材です。
ところが、多くの企業は今日も真面目に新入社員研修を行っています。
ホームランを打てるかもしれない若者に、まずはバントの構えを教えながら。
合同会社タッチコア 小西一有