
前回は、戦略の本質が「やらないことを決める行為」であり、それゆえに現場の感覚とは構造的に一致しないことを確認しました。
では、「戦略」と「現場」をどのようにつなぐべきなのでしょうか。
ここで必要になるのが、戦略を業務へ翻訳する専門職です。
多くの企業では、この役割が組織のどこにも存在していません。
そのため、戦略は戦略として存在し、現場は現場で動き続け、その間には深い断絶があります。その断絶が埋まらないままシステム投資が行われるため、ITは戦略的に機能しにくいのです。
■ 戦略は抽象であり、現場は具体である
戦略ドキュメントをどれだけ丁寧に読んでも、そこから現場が「明日どの業務をやめるべきか」「どの判断基準を変えるべきか」といった具体的な行動は自然には導き出せません。
なぜなら、戦略は概念的で抽象度が高く、現場業務は手順・判断基準・データの扱いなど、きわめて具体的だからです。
両者の距離は想像以上に大きく、“読めば分かる”という性質のものではありません。
この断絶をそのままにして現場ヒアリングを行えば、戦略と無関係のまま“現状維持の延長線”で話が進んでしまうのは当然のことです。
■ 「翻訳者」が必要な理由
本来ならば、戦略を次のように翻訳する役割が組織に必要です。
•戦略の意図を読み解く
•戦略が要求する行動原理・判断軸を整理する
•その意図に沿って業務の構造を再設計する
•必要となるデータと情報の流れを設計する
•現場が実行可能な具体的業務へと落とし込む
この一連の変換作業を行う人材を、ここでは「戦略翻訳者」と呼びます。
翻訳者とは、単に文書を要約する人ではありません。
戦略という抽象概念を、業務という具体的世界に接続していく役割を担います。
■ 日本企業に翻訳者が存在しない理由
では、なぜ多くの企業に翻訳者が不足しているのでしょうか。
① 経営企画部が「数字管理」へ特化している
大企業であっても、経営企画部門は予算管理や計画数値の統制が中心になりがちです。
戦略の意図を業務構造へ翻訳するという役割とは異なる仕事になっています。
②「戦略を現場に落とす」技術が体系化されていない
業務モデリングや構造化の考え方が十分に浸透していないため、
戦略を業務へ変換する技術そのものが組織に存在しません。
③ IT部門は“翻訳者”ではなく“運用者”として扱われている
本来はIT部門が戦略の構造的理解を支援するべきですが、
現実には「運用・保守・注文窓口」としての役割が強く、
戦略変換に必要な位置づけにはなっていません。
④ 現場の声を聞くことが「民主的で正しい」と誤解されている
現場の意見を尊重することと、戦略を実装することは役割が異なります。
しかし、その違いが曖昧なまま運用されてしまっています。
こうした背景から、「翻訳」という重要なプロセスが組織の中で抜け落ちてしまうのです。
■ 翻訳がないと、戦略も現場も機能しない
翻訳者が不在のままでは、次のような齟齬が生まれます。
•戦略は高尚な議論として終わり、具体的なアクションに変換されない
•現場は従来の業務をそのまま続け、戦略とは別の論理で動き続ける
•経営と現場を橋渡しする人がいないため、システム投資が部分最適に陥る
•結果的に、「戦略が現場に落ちていない」という状態が続く
つまり、戦略と現場の両方が悪いのではなく、翻訳というプロセスが欠けていることが問題なのです。
■ 翻訳の技術とは「モデリング」である
戦略翻訳者が用いるべき技術は、特別なものではありません。
それは、業務・情報・判断基準を“構造”として表現するモデリングの技術です。
モデリングによって、
•戦略が要求する行動原理
•それを支える業務構造
•必要なデータの整合性
•現場で実行できる具体的プロセス
を一貫した形で整理できます。モデリングがなければ、戦略の意図は言語のまま浮遊し続け、現場は従来の主観で判断するしかありません。
■ まとめ:戦略と現場を接続する「翻訳者」が組織の競争力を左右する
どれほど優れている戦略であっても、翻訳者が存在しなければ現場は動けません。
逆に、翻訳者が育てば、戦略は業務に接続され、システムは戦略の実装装置として機能し始めます。
次回は、モデリングがなぜ要件定義の中核であり、翻訳者の技術となるのかを掘り下げていきます。
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