
前回(第1回)は、「誰が決めるのか」を明らかにするだけでは、仕事は回らないということを述べました。
誰が要求するのか、誰が決めるのかを定めることは、たしかにガバナンスの骨格として重要です。しかし、それだけでは組織の仕事は動きません。実際に仕事を動かすには、その要求を起案し、必要な確認を経て、審議し、正式な意思決定へ到達させるための運用構造が必要です。
その中心にあるのが、稟議です。
ところが、この「稟議」という言葉は、企業の現場ではあまり良い意味で受け取られていないように思います。
判子が多い。時間がかかる。手続が面倒である。責任逃れのための仕組みになっている。
こうした印象を持つ人は少なくありません。
特に中小・中堅企業では、「稟議なんて、大企業がやる面倒な仕組みだ」と感じている経営者や管理職もいるでしょう。
しかし、私は本来、稟議とはそういうものではないと考えています。
稟議とは、単なる判子集めでもなければ、形式的な回覧でもありません。
稟議とは、ある要求を、組織として意思決定できる状態にまで整えるためのプロセスです。
この定義は、実務上とても重要です。
なぜなら、企業の中で起きる多くの混乱は、要求そのものが十分に整わないまま、「とにかく決めてください」という形で上に持ち込まれることから生じているからです。
例えば、新しいシステムを導入したい、新しい制度を始めたい、新しい取引先と契約したい、組織変更をしたい、といった要求があったとします。
このとき、意思決定者が本当に必要としているのは、「やりたいです」という意思表示そのものではありません。
必要なのは、その要求が何を意味するのか、なぜ必要なのか、どのような効果があるのか、どのような影響があるのか、リスクは何か、関係者の確認は済んでいるのか、といった判断材料です。
それらが整理されて初めて、意思決定者は適切に判断することができます。
つまり、稟議とは、要求を単なる思いつきや要望の段階から、判断可能な案件へと変換するための仕組みなのです。
この観点で見ると、稟議には少なくとも三つの役割があります。
第一に、要求の内容を明確にすることです。
何をしたいのか。何を変更したいのか。何を承認してほしいのか。ここが曖昧なままでは、どれほど多くの関係者が回覧しても意味がありません。
要求内容が曖昧であるということは、組織として何を決めるのかが曖昧であるということです。
稟議の第一の役割は、この曖昧さを取り除くことにあります。
第二に、判断に必要な論点を整理することです。
要求には必ず背景があります。必要性があります。メリットもあれば、デメリットもあります。費用やリスクや影響範囲もあります。
場合によっては、代替案や関係部署への説明も必要です。
こうした論点を整理しないまま意思決定だけを求めるのは、意思決定者に対して責任を丸投げしているのと変わりません。
稟議は、その丸投げを防ぎ、意思決定者が判断すべき論点を見える形にする役割を持っています。
第三に、関係者の確認を通して、組織としての実行可能性を高めることです。
現場が良いと思っている施策でも、情報システム部門から見ればセキュリティ上の課題があるかもしれません。
営業部門が進めたい契約でも、法務や経理の観点からは注意点があるかもしれません。
人事制度の変更でも、現場運用の観点からは別の懸念が出るかもしれません。
稟議があることで、こうした観点が事前に流通し、決裁の前に論点を整理することができます。
これは、意思決定を遅くするためではなく、後から大きな手戻りや対立を防ぐためです。
ここで重要なのは、稟議とは「全員の了解を取ること」ではないという点です。
よくある誤解の一つに、稟議とは関係者全員が賛成するまで回し続けることだ、という考え方があります。
しかし、それでは組織は動きません。
稟議の目的は、全員一致を作ることではなく、必要な論点を適切に通し、意思決定者が正式に判断できる状態を作ることです。
ですから、稟議と合意形成は似ているようでいて同じではありません。
合意形成はできるだけ広い納得を目指しますが、稟議はあくまで意思決定のための前処理です。
また、稟議は責任を分散するための仕組みでもありません。
これもよくある誤解です。多くの人の印があると、「みんなで決めた」という感覚になりやすくなります。
しかし、本来の稟議では、要求を起案する責任、必要な論点を確認する責任、そして最終的に決裁する責任は、それぞれ区別されていなければなりません。
印が多いことは責任が曖昧になることではなく、むしろ役割ごとの関与が見える化されていることでなければ意味がありません。
中小・中堅企業で稟議がうまく機能しないのは、この役割の整理が不十分だからです。
ある会社では、稟議書がただの申請書になっており、背景も論点も書かれない。別の会社では、念のためという理由で関係の薄い役職者まで大量に回覧し、時間だけがかかる。さらに別の会社では、重要案件ほど口頭で先に決まっていて、稟議書は後から形を整えるだけになっている。
これらはいずれも、稟議を「意思決定可能な状態に整えるプロセス」として捉えていないことから起きる歪みです。
本来、良い稟議とは、案件の質を揃えます。
何を判断してほしいのかが明確であり、必要な情報が過不足なく整理され、関係者の観点があらかじめ通され、最終決裁者が判断しやすい状態になっている。
こうした稟議が整っていれば、意思決定は速くなります。少なくとも、遅くて雑な意思決定よりは、はるかに生産的です。
つまり、稟議は仕事を遅くするものではなく、仕事を正しく前に進めるための整流装置だと言ってよいでしょう。
中小・中堅企業に必要なのは、大企業のような複雑な稟議制度をそのまま真似ることではありません。
必要なのは、自社にとって重要な案件について、最低限どのような項目を整理し、誰の確認を通し、どこで正式な意思決定につなげるのかを設計することです。
その意味で、稟議は単なる事務手続ではなく、ガバナンスを実務として成立させるための中核的な仕組みなのです。
次回は、この稟議の先にある「決裁」とは何かを考えます。
決裁とは単なる承認行為ではありません。
組織として正式に意思を確定させ、実行責任を発動させる行為です。
この違いを明らかにすることが、稟議と決裁を混同しないためには不可欠です。
合同会社タッチコア 小西一有
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