
「ガバナンスが大事です」と言われて、素直に納得する中小・中堅企業の経営者は、そう多くはありません。
むしろ、「また管理の話か」「うちは上場企業ではない」「そんな立派な仕組みを作る余裕はない」と感じる方のほうが自然でしょう。
実際、日本の中小・中堅企業の現場では、「ガバナンス」という言葉自体が十分に理解されていないことが少なくありません。
言葉だけが独り歩きし、どこか大企業向けの制度論、あるいは上場準備企業にだけ求められる形式的な統制のように受け取られているのが実情です。
しかし、本来のガバナンスとは、そのようなものではありません。
ガバナンスとは、企業の中で生じるさまざまな問題に対して、誰が要求を明示し、誰が意思決定するのかをはっきりさせることです。
別の言い方をすれば、説明責任の所在と意思決定の所在を明らかにすることこそが、ガバナンスの出発点です。
このことを理解すると、ガバナンスが一部の大企業だけに必要なものではなく、むしろ中小・中堅企業にこそ必要な経営基盤であることが見えてきます。
中小・中堅企業では、組織が比較的コンパクトであるがゆえに、日々の経営が「人」と「関係性」と「暗黙の了解」によって回っていることが少なくありません。
創業者や経営者の判断力が高く、幹部や現場との距離も近いため、ある程度まではそれで機能します。むしろ、その俊敏さこそが強みになる局面もあります。
ところが、事業が少し成長し、拠点が増え、人員が増え、取引先が増え、情報システムや規程や会議体が増えてくると、これまでの「阿吽の呼吸」では回らなくなります。
すると、企業の内部では、さまざまな混乱が起き始めます。
例えば、ある部署が新しい取り組みを始めようとしたときに、「誰に話を持っていけばよいのか」がわからない。
あるいは、現場からの要望を誰が取りまとめ、どのレベルまで整理して経営に上げるべきかが決まっていない。
会議で話題に上がっただけなのに、いつのまにか「承認されたこと」になっている。
逆に、経営者が口頭で方向を示しただけなのに、現場では正式決定と受け止められず、動きが止まる。
さらに問題が起きたときには、「誰が言い出したのか」「誰が決めたのか」「なぜそのような判断になったのか」が曖昧で、責任の所在だけが宙に浮く。
こうした事態は、能力不足や意欲不足によって起きているのではありません。
根本にあるのは、要求を明示する責任と、意思決定する責任の線引きが曖昧であることです。
本来、組織の中では、「こうしたい」「これを進めたい」「この課題に対応すべきだ」という要求が、何らかの形で意思決定者に対して提示されなければなりません。
その際には、必要性、背景、実施した場合の効果、影響範囲、リスク、費用、運用面での課題などが整理されていなければ、意思決定者は適切な判断ができません。
つまり、意思決定には、その前提としての説明責任が必要なのです。
ここでいう説明責任とは、問題が起きた後に事情を釈明することではありません。
そうではなく、意思決定者に対して、何を求めるのか、その理由は何か、どのような条件で実行したいのかを明示し、判断可能な状態にして正式に要求を上げる責任を指します。
そして、その要求を受けて、実施するか否か、どの条件で進めるかを決めるのが、意思決定責任です。
この二つが分かれていない会社では、経営が属人的になりやすくなります。
要求を持ち込む側は「上に言ったからよい」と考え、決める側は「十分な整理がないまま感覚で決める」ことになります。
結果として、あとから問題が起きても、要求の質が悪かったのか、判断が悪かったのか、あるいは実行段階に問題があったのかが判別できず、改善も進みません。
ところが、世の中で「ガバナンス」として語られるものの中には、この本質から外れたものが少なくありません。
特に、上場を視野に入れた中堅企業では、公認会計士事務所やコンサルティング会社などから「上場要件だから」と説明され、さまざまな規程やマニュアルの整備を迫られることがあります。
もちろん、一定のルール整備は必要です。
しかし、それが経営実態や業務実態と結びつかず、単に文書だけが増えていくと、組織の中には「守るために存在するルール」ではなく、「誰も本気では使っていない建前」が増えることになります。
この状態を、私は「形骸化したガバナンス」と呼ぶべきだと思います。
規程があることと、ガバナンスがあることは同義ではありません。
会議体があることと、意思決定の仕組みが機能していることも同義ではありません。
重要なのは、実際にその会社の中で、誰が要求を定義し、誰が判断し、どのような流れで実行に移るのかが整っているかどうかです。
中小・中堅企業にとって必要なのは、大企業の制度を縮小コピーすることではありません。
取締役会の構成や委員会制度の形だけを真似ることでもありません。
必要なのは、自社の事業規模、自社の意思決定速度、自社の人材構成に見合った形で、最小限必要なガバナンスを設計することです。
そして、その出発点は極めて明快です。
第一に、どのような事項について、誰が要求を上げるのかを明確にすること。
第二に、その要求に対して、誰が判断するのかを明確にすること。
第三に、その関係を、特定の個人の頭の中ではなく、組織の共通認識にすることです。
この三つが曖昧な会社では、どれほど立派な規程を作っても、問題は繰り返されます。
逆に、この三つが明確になれば、たとえ制度がまだ十分に整っていなくても、組織の混乱は大きく減ります。
ガバナンスとは、企業活動を不自由にするための仕組みではなく、むしろ企業が混乱なく前に進むための基礎設計なのです。
中小・中堅企業ほど、経営資源には限りがあります。
だからこそ、判断の曖昧さや責任の曖昧さに伴う手戻り、誤解、対立、停滞を減らすことが重要になります。
ガバナンスとは、そのための「管理」ではなく、そのための「経営の整流化」なのです。
次回は、中小・中堅企業が最初に手を付けるべきガバナンスとして、「誰が決めるのか」を明らかにする意思決定権限の設計について考えてみたいと思います。
多くの会社では、ガバナンスというと規程整備から始めようとしますが、実は最初に整えるべきものはそこではありません。
最初に必要なのは、意思決定の所在を明らかにすることです。
合同会社タッチコア 小西一有