
ここまで、中小・中堅企業におけるガバナンスとは何か、なぜ必要なのか、最初に整えるべきものは何か、そしてなぜ多くの企業で形骸化してしまうのかを見てきました。
その中で繰り返し述べてきたことは、ガバナンスとは、立派な規程集や複雑な統制制度を指すのではなく、説明責任の所在と意思決定の所在を明らかにすることによって、企業内に発生する諸問題を解決しやすくする経営の仕組みである、という点です。
この定義に立つならば、中小・中堅企業において最初に目指すべきことは明確です。
それは、「大企業のような完成された制度」を持つことではありません。
ましてや、上場企業が備えているような多層的な会議体や大量の規程群を、未整理のまま真似ることでもありません。
目指すべきなのは、自社の規模、自社の経営の癖、自社の人材構成に見合った形で、実際に機能する最小限のガバナンスを持つことです。
中小・中堅企業では、経営資源が限られています。
人材にも時間にも余裕がないことが普通です。
その中で、ガバナンスを“制度の完備”として捉えてしまうと、必ず無理が生じます。
規程を作ることが目的化し、会議が増え、申請が増え、確認が増え、結果として現場の仕事は重くなる一方で、意思決定の質は必ずしも向上しない。これでは本末転倒です。
だからこそ、最初に必要なのは「全部を整えること」ではなく、「何を最初に整えれば、組織の混乱が大きく減るのか」を見極めることです。
私は、中小・中堅企業が最初に整えるべきガバナンスは、まず次の三つで十分だと考えます。
第一は、重要事項の意思決定権限を明らかにすることです。
第二は、誰が要求を整理し、意思決定者に対して実行要求を上げるのかを明らかにすることです。
第三は、そのやり取りが行われる会議体または審議の場の役割を明らかにすることです。
この三つが整うだけで、企業の中の混乱は驚くほど減ります。
まず第一の、意思決定権限の明確化について考えてみましょう。
多くの中小・中堅企業では、「最終的には社長が決める」という状態が続いています。
創業期や小規模の段階では、それでも問題なく回るかもしれません。
しかし、組織が大きくなるにつれて、この構造は必ず限界を迎えます。
社長がボトルネックになり、現場は自律的に考えなくなり、社長の雑談と正式決定の区別がつかなくなり、社長不在で組織が止まる。これは前回までに見てきたとおりです。
したがって、まず必要なのは、「何を誰が決めるのか」を整理することです。
例えば、経営戦略や大口投資や組織改編のような事項は社長または経営会議が決める。
部門横断の業務ルール改定やシステム導入の基本方針は委員会または担当役員が審議し、承認権者が決める。
部門運営に関する事項は部門長が決める。日常的な運用判断は現場責任者が決める。
こうした整理があるだけで、組織は「どこまで自分が判断してよいのか」「どこから上に上げるべきなのか」を理解しやすくなります。
次に第二の、説明責任の所在です。
ここでいう説明責任とは、問題が起きた後の釈明責任ではありません。
意思決定者に対して、何を求めるのか、その理由は何か、どのような効果や影響があるのか、どのような条件で実行したいのかを整理し、正式な実行要求として上げる責任です。
これが曖昧な会社では、要求が人によってばらつきます。
ある案件は十分に整理されているのに、別の案件は「とにかく必要です」という感覚論だけで上がってくる。
ある会議には資料が揃っているのに、別の会議では口頭説明だけで判断を求められる。
この状態では、意思決定の質が安定しません。
だからこそ、どのテーマについて、どの部門や会議体が要求主体になるのかを明確にする必要があります。
例えば、ITに関する投資要求であれば、現場部門が個別に社長へ持ち込むのではなく、必要な情報をシステム企画部門が整理し、所管の委員会が要求内容を検討し、正式な要求として経営に上げる。人事制度の見直しであれば、人事部門が制度変更の背景と影響を整理し、経営会議に正式要求として上げる。こうした流れが見えることが重要です。
そして第三に、会議体の役割の明確化です。
中小・中堅企業では、会議が存在していても、その性格が曖昧であることが珍しくありません。
経営会議、部門長会議、委員会、プロジェクト会議など、名称はあっても、それが情報共有の場なのか、論点整理の場なのか、審議の場なのか、承認の場なのかがはっきりしていない。
このため、「会議で話したから決まったと思った」「いや、あれは単なる議論だった」という食い違いが起きます。
そこで必要になるのが、各会議体の役割を整理することです。
例えば、A会議は情報共有の場、B委員会は要求内容を審議する場、C会議は最終承認の場、というように整理するだけでも、組織の動きはかなり滑らかになります。
重要なのは、これら三つを、いきなり完璧な制度として作り込もうとしないことです。
中小・中堅企業が陥りやすい失敗は、「どうせやるなら一気に立派に作ろう」としてしまうことです。
しかし、そのような制度は現場に定着しにくく、かえって形骸化を招きます。
むしろ望ましいのは、まず主要なテーマに絞って最小限の整理を行うことです。
例えば、投資判断、IT導入、人事制度変更、重要契約、業務ルール改定といった、会社にとって影響の大きいテーマから始めればよいのです。
その際に作るべきものも、最初はシンプルで構いません。
例えば、A4一枚の表でもよいのです。
左側に「テーマ」を並べ、次に「要求主体」「論点整理の場」「最終意思決定者」「残すべき記録」を書く。
たったこれだけでも、社長の頭の中にしかなかった判断ルールが、組織の共通認識へと変わり始めます。
ガバナンスとは、何か壮大な制度を設計することではありません。
こうした基本的な構造を、曖昧なまま放置しないことです。
また、この最小構成を整えることには、副次的な効果もあります。
それは、経営者自身が「何を自分で決めるべきで、何を任せるべきか」を再認識できることです。
中小・中堅企業の経営者は、責任感が強いほど、つい多くを自分で抱え込みがちです。
しかし、すべてを自分で決め続けることは、会社の成長をどこかで止めます。
一方で、何でも任せればよいわけでもありません。
だからこそ、ガバナンスの設計は、単なる社内ルールづくりではなく、経営の成熟そのものなのです。
日本の中小・中堅企業の多くは、まだガバナンスの意味そのものを十分に理解していません。
ガバナンスという言葉は知っていても、それを規程整備や管理強化の話だと誤解していることが多い。
あるいは、上場要件だから仕方なく整えるものだと思っていることもあります。
しかし、本来のガバナンスは、そのようなものではありません。
ガバナンスとは、要求と意思決定の流れを明らかにし、企業の混乱を減らし、判断の質を高め、再現性のある経営を可能にするための仕組みです。
そして、中小・中堅企業に必要なのは、大企業の制度を真似ることではなく、自社に必要な最小限の骨格から始めることです。
誰が要求を上げるのか。
誰が決めるのか。
どこで審議するのか。
この三つが明確になれば、会社は確実に変わり始めます。
ガバナンスは、会社を不自由にするためのものではありません。
むしろ、曖昧さによる混乱を減らし、経営を前に進めるための基礎設計です。
中小・中堅企業にこそ、その基礎設計が必要です。
そしてその第一歩は、立派な制度ではなく、実効性ある最小構成から始まるのです。
おわりに:
ガバナンスは、従業員を縛るためのものではなく、問題に組織として対応するためのプロトコルである
最後に、私自身の雑感として、実務の現場で感じていることを少しお話ししておきたいと思います。
弊社のサービスは、2代目、3代目の社長の方々にご契約いただくことが比較的多くあります。
そうした企業では、先代から受け継いだ事業を、時代に合わせて整え直そうという強い意思を持っておられる経営者が少なくありません。
その一方で、組織運営の面では、長年の慣習や暗黙の了解がそのまま残っており、そこにさまざまな問題が潜んでいることもあります。
以前、ある企業で、営業社員の離職が続いたことがありました。
経営としても深刻に受け止め、原因調査を行ったところ、人事評価制度に対する不満や、考課者に対する不平・不満が相当に鬱積していたことが分かりました。
そこで社長は、人事評価制度の見直しを進めるとともに、考課者向けの研修をコンサルティング会社に依頼して実施されました。
これ自体は適切な対応であり、決して間違ったことではありません。
評価制度の改善も、考課者教育も、組織運営上たいへん重要です。
しかし私は、そのとき別のことを強く感じました。
本当に問うべきなのは、制度の内容そのものだけではなく、従業員が辞めるほどの不平・不満が、辞める前に経営トップへ上がらない会社の風土と仕組みの方ではないか、ということです。
一般には、こうした状態を「風通しが悪い企業風土」と表現するのだと思います。
もちろん、それも一つの言い方でしょう。
ですが私は、その問題を単に風土論だけで片付けるべきではないとも思っています。
なぜなら、風通しの悪さとは、結局のところ、問題を問題として組織の中で扱い、上位の意思決定へとつなげる仕組みがないことの表れだからです。
従業員が何かに不満を持つこと自体は、どの組織にも起こり得ます。
評価制度への違和感、上司への不信、業務運営への疑問、人間関係の軋轢。こうしたものを完全にゼロにすることはできません。
問題は、それが見えないまま蓄積し、離職や対立や不信となって初めて表面化することです。
もし組織の中に、そうした問題を適切に拾い上げ、論点を整理し、必要に応じて経営に上げ、意思決定につなげる仕組みがあれば、事態はもっと早い段階で違った展開を取れたかもしれません。
つまり、そこで必要なのは、単なる「よく話を聞く上司」や「相談しやすい雰囲気」だけではなく、諸問題を組織として扱うためのプロトコルです。
私は、ここにこそガバナンスの本当の意味があるのではないかと思っています。
ガバナンスという言葉は、ともすれば「統治」「管理」「ルールで縛ること」と受け止められがちです。
しかし、私が中小・中堅企業において必要だと考えるガバナンスは、そのようなものではありません。
それは、従業員を縛り付けるための仕組みではなく、組織の中に生じるさまざまな問題に対して、個人の我慢や属人的な調整に頼らず、会社として対応するための仕組みです。
言い換えれば、ガバナンスとは、問題が起きたときに「誰が受け止めるのか」「誰が論点を整理するのか」「誰が判断するのか」をあらかじめ明らかにしておくことです。
そこに仕組みがあれば、従業員は「何かあっても、会社として扱ってもらえる」と感じることができます。
これは、安心して働ける環境をつくるうえで、実はとても大きな意味を持ちます。
ガバナンスは、経営者のためだけのものではありません。
また、株主や監査のためだけのものでもありません。
それは、組織の中で働く人たちが、問題を抱え込まず、会社がそれを課題として受け止め、必要な対応につなげていくための基礎でもあります。
その意味で私は、ガバナンスとは、企業を不自由にするための「統治」ではなく、さまざまな問題に対して組織として対応するためのプロトコルなのだと理解したいのです。
そして、中小・中堅企業にこそ、そのような意味でのガバナンスが必要なのではないかと思っています。
合同会社タッチコア 小西一有
第1回 ガバナンスとは何か―中小・中堅企業ほど必要なのに、最も誤解されている経営の基礎
第2回 中小・中堅企業が最初に手を付けるべきガバナンス―まずは「誰が決めるのか」を明らかにする
第3回 説明責任とは“後で説明すること”ではない―意思決定者に対して要求を明示する責任である
第4回なぜ中小・中堅企業のガバナンスは形骸化するのか―規程やマニュアルだけが増えても、会社は整わない