
日本企業は、長いあいだ暗黙知に支えられてきました。
現場の経験。
ベテランの勘。
部門間の調整力。
お客様の反応を読み取る感覚。
言葉にしなくても通じる前提。
会議の空気から判断する力。
こうしたものは、日本企業の強みでした。
私は、暗黙知そのものを否定したいわけではありません。
むしろ、暗黙知を軽視してきた企業は、現場の本当の力を見落としていると思います。
問題は、暗黙知があることではありません。
問題は、その暗黙知が個人や現場に閉じたまま、会社の構造に実装されていないことです。
たとえば、ある営業担当者は、お客様の言葉にならない不満を感じ取ることができる。
ある製造現場のベテランは、設備のわずかな変化から異常を察知できる。
ある管理職は、複数部門の事情を踏まえながら、何とか落としどころを見つけることができる。
それ自体は素晴らしい力です。
しかし、その力が特定の個人にしか宿っていないとしたら、会社の能力とは言い切れません。
その人がいなければ分からない。
その部署でなければ回らない。
長く勤めた人でなければ判断できない。
何が起きているのか、後から聞かなければ分からない。
これでは、会社は学習できません。
暗黙知経営とは、個人や現場の経験、勘、調整力に大きく依存して会社を動かす経営です。
それは、安定した環境では大きな強みになります。
似たようなお客様に、似たような商品を、似たようなプロセスで提供し続ける時代には、非常に有効でした。
しかし、環境が変わると話は変わります。
顧客の期待が変わる。
競争相手が変わる。
技術が変わる。
働き方が変わる。
AIのような新しい道具が入ってくる。
そのとき、個人の頭の中にある知だけに頼っていては、会社全体として変化することが難しくなります。
DXやAIを導入しても会社が変わらない理由は、ここにあります。
ツールを入れても、業務の構造が変わっていない。
データを集めても、判断の構造が変わっていない。
AIを使っても、何を判断したいのかが設計されていない。
現場の違和感が、経営に届く構造になっていない。
つまり、会社が持っている知が、会社の能力として設計されていないのです。
ここで必要になるのが、設計知経営です。
設計知経営とは、個人や現場に宿る暗黙知を、業務、情報、判断、責任、組織、IT/AIの構造の中に組み込み、会社として再現可能な能力へ変える経営です。
これは、暗黙知をマニュアルに書き出せばよい、という話ではありません。
もちろん、マニュアル化できるものはマニュアル化すればよい。
しかし、それだけでは不十分です。
本当に問うべきなのは、もっと深いことです。
その知は、どの業務の中で生まれているのか。
その知は、どの情報として残るべきなのか。
その情報は、誰のどの判断に使われるのか。
その判断の責任は、どこにあるのか。
その結果は、次の業務や学習にどう戻るのか。
ここまで設計されて、初めて知は会社の力になります。
たとえば、現場の違和感がただの感想で終わる会社があります。
一方で、その違和感が記録され、分類され、顧客価値や業務上の問題として経営に届く会社もあります。
前者では、現場の知は個人の中に消えていきます。
後者では、現場の知が会社の学習材料になります。
この違いは大きい。
同じDXでも、同じAIでも、同じシステム投資でも、結果はまったく変わります。
暗黙知経営から設計知経営へ進むということは、現場の力を否定することではありません。
むしろ、現場の力を本当に大切にするということです。
大切な知だからこそ、個人の頭の中だけに閉じ込めてはいけない。
大切な知だからこそ、属人的な調整だけに任せてはいけない。
大切な知だからこそ、会社の構造に実装しなければならない。
DXやAIの本当の価値は、この転換を支えるところにあります。
導入したかどうかではありません。
何ができるようになったのかです。
現場の違和感を、経営が早くつかめるようになったのか。
顧客価値の変化を、業務の中で捉えられるようになったのか。
判断に必要な情報が、後から集めるものではなく、業務の中で自然に生まれるようになったのか。
人が替わっても、会社として学習し続けられるようになったのか。
ここを問わなければ、DXもAIも「導入しました」で終わってしまいます。
会社は、人の集まりです。
しかし、人の頑張りだけで動き続けるものではありません。
会社は、業務、情報、判断、責任、組織がつながった構造体でもあります。
その構造の中に、現場の知をどう実装するのか。
これが、暗黙知経営から設計知経営への転換です。
そして、経営者が問うべきことは、ここにあります。
わが社の知は、個人に宿っているだけでしょうか。
それとも、会社が変化するための構造として設計されているでしょうか。
合同会社タッチコア 小西一有
[関連Blog]
第1回 DXもAIも入れた。|何ができるようになったのか
第2回「導入しました」は経営成果ではありません|何ができるようになったのか
第3回 現場が強い会社ほど、構造の問題が見えなくなる|何ができるようになったのか
第4回 日本企業最大の無駄は、作業ではなく「調整」です|何ができるようになったのか
第5回 現場の知を、会社の力に変える|何ができるようになったのか